患者ストーリー

監修:埼友草加病院 腎・透析内科 大澤勲先生

HAEの患者さんの多くの方は、長い間、診断がつかずに「自分の病気」へ不安を抱えてきました。最近ではインターネット上の情報が増えてきたことで、患者さん自身や家族が積極的にHAEという病気を知り、医療機関を受診されています。そのため診断がついたHAE患者さんは年々増加しています。

「HAEの診断がつけば、発作時の治療薬があるんですよ」
とお話しをするだけで、精神的ストレスから解放されたのでしょう、発作が激減する患者さんが何人もおられます。

腫れるきっかけと知られている、手術や出産、歯科治療の時にも治療薬の準備が整っていればさらに心強いそうです。主治医は患者さんと一緒になって発作がなぜ起きるのかを探り、1人1人に合った適切なアドバイスをしてくれるでしょう。

これからは、迅速に治療ができる体制はもちろんのこと、全国どこへ行っても治療できるような診療ネットワークづくりの充実がポイントになってきます。患者さんが少しでも安心して暮らせる環境づくりの充実に向けて、医師と製薬会社、患者会が知恵を絞っているところです。

遺伝性血管性浮腫、HAEはとても珍しい病気です。
そのため一般の方はもちろん、医療従事者の中でも認知度が低く、適切な診断や一人ひとりに合った治療を受けられずに悩んでいる患者さんも少なくありません。
HAE患者としてこの病気と向き合ってきた患者さんにお話を伺いました。

サムネイル:Ptient Voice Vol.1
Vol.1
患者さんのバックグラウンドに合わせた治療について
サムネイル:Ptient Voice Vol.2
Vol.2
医療従事者とのコミュニケーションについて
サムネイル:Ptient Voice Vol.3
Vol.3
患者さんのバックグラウンドに合わせた治療について
サムネイル:Ptient Voice Vol.4
Vol.4
医療従事者とのコミュニケーションについて
サムネイル:Ptient Voice Vol.5
Vol.5
患者さんにとっての長期発作抑制治療の意義

HAE DAY ショートムービー

サムネイル画像:ショートムービー

一般社団法人遺伝性血管性浮腫診断コンソーシアム(DISCOVERY)にリンクします

Aさん(30代女性)

HAEは
普段元気に過ごすことが
できます。

診断されるまで
9歳の頃から非常に激しい腹痛と嘔吐を繰り返し、毎月入院していました。原因不明で絶食と点滴をするしかすべがなく、入院のたびに体重が減り、学校へ行くだけでも疲れていました。その後、大学病院へ紹介され補体値が低いことはわかりましたが、脳や胃腸・婦人科系など何も異常はありませんでした。そんなある日、海外の文献からHAEかもしれないと告げられ遺伝子検査を実施しました。
診断されたとき
当時私は14歳で、遺伝子検査を両親家族もしました。病気がわかるかもしれないという期待と同時に、両親が原因かもしれない、家族も同じ病気なのかという不安でいっぱいでした。結果、私だけHAEでしたが、正直心の中では安堵した記憶があります。
これまで
HAEと診断された後も、他の患者さんを知らず医師と手探りで治療をしていました。学校で病気を説明すると逆に不安がられ、修学旅行は両親同伴で行きました。行事前後に入院することも多く、精神的なものと誤解されたこともあります。また腹痛の他に手や唇、喉頭浮腫により窒息死しかけたこともあり、進学や就職先の選択は大変悩みました。いつ起こるかわからない発作の不安と死の恐怖で、心から安心して眠れるような日はありませんでした。
HAEを知る医師や患者さんとの出会い
結婚後、初めてHAEを知る医師に出会いました。それまでHAEについて知っている医師に会ったことがなく、その驚きと喜びは忘れません。また、交流会で国内だけではなく世界中に患者さんがいることを知り、彼らに会った瞬間、「同じ遺伝子を持つ」家族のように感じました。具合が悪いことを自然に話せる彼らの存在は大変心強く、今では安心して眠ることができます。
HAEを研究してくださる先生方がいること、同じ病気の人がいること、自分もその一員であることの感謝と希望は、私の人生を大変前進させてくれました。HAEは普段元気に過ごすことができます。どこであれ、適切な治療を受けられるようになることを願っています。

Bさん(60代男性)

遺伝性血管性浮腫(HAE)と
診断がついて、
うまくHAEと付き合えるように
なりました。

診断がつかず苦労した体験
もともと腎臓が悪く、機能低下に伴い透析をするようになりました。その頃から、突然お腹が痛くなるようなこともありました。お腹が痛くなる頻度は、ひどいときで2週間に1回程度で、その痛みは錐(きり)で刺されるような激烈な痛みでした。腹膜炎疑いとなりましたが、原因は不明でした。
ある時のこと、お腹が痛くて入院していたとき、夜中に目が覚めて、気がついたら舌にタラコが乗っている感じでした。舌が腫れていて、しゃべってみると、『うまく話せない』。
初めての経験だったので、どういう状況になっているのか理解できず、医師に診てもらいました。しかし、医師に診てもらっても原因がわからず、とりあえずは様子をみることになりました。それから、どんどん腫れてきて、3時間くらい経ったら、気道が狭くなるまで腫れてきました。その時も何の病気かはわかりませんでした。
診断について
ある時、また舌が腫れて、違う病院の先生に診てもらったら『遺伝性血管性浮腫(HAE)じゃないか?』と言われて、やっと診断がつきました。診断がついた今では、うまくHAEと付き合えるようになりました。
遺伝性血管性浮腫(HAE)との付き合い方
喉や舌が腫れると、声がでないから自分の意思を伝えることができないし、伝えられても病気のことを知らない人の方が多いから、どうしていいか分からないことがあります。だから、医師に書いてもらった診断書をいつも持つようにしています。いつ発作(腫れる)が起こるか分からないし、外出している時とかに何かあっても、これを持っていれば診療できる病院に行けると思うと安心です。
HAEと診断されることも大事だし、診断されたら、「私はHAEですよ。」「私はこういう治療が必要なんですよ。」って示せるものを常に携帯していることは大事だと思います。
  
 

Cさん(20代女性)

母親の毎日の日記記録で、
ようやく病名が分かり
毎日が安心して暮らせます。

つらい小学校・中学校時代
小学生の頃、急にお腹が痛くなり食欲の無い日が時々ありました。
また、運動場でソフトボールがぶつかった時、絶対このあと腫れると思ったけど、学校の先生はどうせ理解してくれないだろうと、家に帰ってしまったことを覚えています。
中学校では、お腹が痛くて、食べたり飲んだりできなくて、気持ちが悪かったことをよく覚えています。近くの病院に入院しましたが、理由が分からないまま2-3日で退院していました。
痛いのもあるし気分もぐったりして、しゃべるのも嫌な感じでした。お腹にくると、多くて夜中に5-6回くらい吐いていました。今思えば、胃が腫れていたのかもしれません。
診断について
13歳の時、抜歯をした翌日に頬がみるみる腫れてきました。この時、祖母と同じ病院を受診していたので、クインケ浮腫の1つで遺伝性血管性浮腫(HAE)という病気かもと、歯科医に疑ってもらえたことが本当に良かったです。
結婚と新しい生活
昨年の結婚では、腫れやすいこの病気が1/2の確率で遺伝することも分かっていましたが、私も旦那さんもそんなに気にしていません。
最近では、原因が分からないというストレスから開放されたんだと思います。会社に入ってから全然休まなくなったことは、私にとって大きな喜びです。
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