CIDPだからって、
私には私の人生がある。

CIDP患者さんと主治医の二人三脚ストーリー

イラスト
Story.2

こうなりたい、のその先の未来を示して、
一緒に病気に立ち向かう。

写真:主治医 上野 晃弘 先生
上野 晃弘 先生
諏訪赤十字病院
脳神経内科
*肩書は取材当時
写真:患者さん 柿沢 宏昭さん
柿沢 宏昭さん
病歴8年 
長野県茅野市在住

CIDPで歩くのにも支障をきたし始めていた頃、
勤務先の配置転換で内勤から現場に異動して困っていた柿沢宏昭さん。
そんな彼の前に現れたのが、
新しく柿沢さんを担当することになった上野晃弘先生でした。
二人はしっかり話し合い、治療目標を共有することで、
困難な状況を打開していきます。

いつしか、歩くのも大変な状態に。

今から8年ほど前のある日。お風呂でシャワーを浴びていた柿沢宏昭さんは、足のつま先にかつてない違和感を覚えたと言います。「なんだか足の先がしびれるような感じがしたんですよね。なんでこんなにジンジンするんだろう?…しもやけかな?って」。その時はそれほど気にとめなかった柿沢さんでしたが、次第に歩きにくさを感じるようになります。

写真:主治医 上野 晃弘 先生と患者さん 柿沢 宏昭さん

その頃は、仕事でLPガスのボンベを運ぶ作業もしていたという柿沢さん。しばらくは我慢しながら働いていましたが、半年後には、細い道を通ったり坂道を登ったりするのが困難な状態に。「足腰に力が入らないんですよね。力が入らなくて踏ん張れないから、体のバランスが取れない」。これはへんだと思い、近所の内科医を受診することにしました。

しかしその病院では「糖尿病による神経障害」と診断されます。処方された糖尿病の薬を飲み続けましたが、症状はいっこうに改善せず、歩行はさらにおぼつかなくなっていきました。「特に荷物を持っている時には千鳥足みたいになって、ちゃんと歩けないような状態でした。それで、時々ひっくり返るようになっちゃった。それと、強く物を踏まないと感じなかったり、時には物が刺さってても感じない、なんてこともありましたね」。
その頃、本人以上に心配していたのが柿沢さんのご両親でした。「お前、そのままでは困るんじゃないの?っていう感じで、知り合いの看護師さんに相談してくれて。それで別の内科医に診てもらうことになったんです。そこで、『これはちょっとおかしい』ということで、諏訪赤十字病院に紹介状を書いてもらうことになりました」。最初の病院を受診してから、さらに半年ほど経った頃のことでした。

異動して困っていた頃、新任の主治医と出会う。

諏訪赤十字病院の脳神経内科で検査を行った結果、柿沢さんはCIDPと診断され、治療が始まりました。
症状はしばらくの間、一進一退を繰り返していましたが、治療開始から4年ほどが経過した頃、柿沢さんは職場の配置転換で、それまでの内勤から再び現場へと戻ることになりました。デスクワーク主体の内勤とは違って、現場ではどうしても動き回ることが要求されます。そのころ柿沢さんは、お客様の「足を引きずっている人がいる」「なぜあの人は走って来ないんだ」といった声を耳にし始めます。これはどうしたものかと、思い悩み始めたちょうど頃でした。柿沢さんの主治医が、この病院で3人目の上野晃弘先生に代わることになったのです。それは今にして思えば、柿沢さんが思いきって大きな一歩を踏み出すにはまたとないチャンスでもありました。

写真:諏訪赤十字病院 外観

上野先生は、当時の柿沢さんの様子をこう語ります。「私が初めてお会いした時の柿沢さんは、病院ですれ違う誰もが思わずハッと目を止めてしまうような、危なっかしい歩き方をされていました。それから手にも感覚失調性の動きがありまして、ヨーロッパでは『まるでピアノを弾いてるかのような』という表現をしますが、そんな風に手が動いているような状態でしたね」。しかし柿沢さんは、職場での足の運びが一番の悩みの種だったため、手の動きにはほとんど気がついていなかったと言います。「でも言われてみれば、物を掴むのに手が震えるとか、コインが掴みにくいとか、ペタンと床に落ちたものが拾えないとかいうのは、たしかにありましたね」。

まず上野先生は柿沢さんに、あらためて検査をすることを勧めました。「この病院ですでに2人の先生が柿沢さんを診ていらして、それぞれの先生からの申し送りがありましたから、私は比較的豊富な情報を手にしていました。ただ直近の3年近くの間、神経伝導検査がなされていませんでしたので、私には柿沢さんが当時“寛解期”にいらっしゃるのか、“活動期”にいらっしゃるのかが分からない状況でした。それであらためて神経伝導検査をしてみませんかと申し上げたんです。検査を1回ではなく複数回行って、たしかな結果を得てから治療方針を決めましょうと」。
そして検査の結果、柿沢さんは入院して集中的な治療を行うことになります。「上野先生にはすごく熱心に対応していただきました。これがいいんじゃないか?あれがいいんじゃないか?って考えていただいて。私もネットで調べて、この病気にはいろんな治療法があることは分かっていましたので、とにかくこの先生についていこう、しっかり治療していこうって思いましたね」。

「走る」、という目標に向かって。

写真:患者さん 柿沢 宏昭さん

上野先生は治療計画を立て、柿沢さんと目標を共有した上で、二人三脚の治療をスタートさせました。先生は複数の療法を組み合わせながら、同時にリハビリにも積極的に取り組むよう柿沢さんに勧めます。

当時上野先生は、柿沢さんにこう言ったのだそうです。「柿沢さん。リハビリして走れるようになってください。もちろん転んで骨折しないよう気をつけなきゃいけませんが、小走りにでも走れるようになったら、他の方とのギャップもなくなると思いますから」と。

柿沢さんは、「私は、普通に歩ければいいなと思ってましたけど、もし走れるようになったら、それはもう日常生活もぜんぜん問題なくなるなって思いましたね。現場に行くと、お客様対応で走らなきゃならない場面があるんですけど、今の自分には絶対無理ですから。当時先生からは、体重を落としましょう、そのために運動しましょうと言われましたが、ただそれをやることでケガだけはしないように、って念を押されていましたね」と、当時を振り返ります。

写真:主治医 上野 晃弘 先生

上野先生は、小走りの前段階として、まず“連続跳躍”に挑戦することを柿沢さんに勧めます。「ジャンプして着地すると、自分の体重の2.5倍の力がかかると言われています。さらにもう1回続けてジャンプするには5倍の力が必要になるんです。それをクリアできる筋力をつければ、やがて走れるようになると思ったんです。結論から申し上げると、まだ走ることはできていませんが、この連続跳躍はできるようになったんですよ。初めは全然できなかったのに」。

治療とリハビリに取り組み始めて半年後、上野先生は、柿沢さんのお父さん、妹さんと初めて面会する機会を迎えました。治療がはかどっていないとご家族が怒っていらっしゃるのではないか?と心配しながら面会に臨んだ先生でしたが、妹さんからは意外な言葉が。「先生。兄の足の運びが、明らかに良くなってます!」。そう言われて先生はホッと胸をなでおろしました。そして大いに勇気づけられたと言います。「やはりご本人とかご家族に納得していただかなければ、なかなか治療は前に進まないものですから。あのとき満足していただけたのは、私にとって大きな救いでした。だから安心して前に進めたと思います」。そして現在の柿沢さんについて上野先生は「かつては周りの人がハッとするような歩き方をされていたと申し上げましたが、今では『ちょっと歩きの遅い人だな』としか思われない程度に回復してきていると思います」と、手応えを口にされました。
少しずつ、しかし着実に成果を上げながら、上野先生と柿沢さんは今日も、小走りに走るという大きな目標に向かって、治療とリハビリに励んでいらっしゃいます。

この先生に出会えて、よかった。

柿沢さんに「走れるようになってほしい」と持ちかけた上野先生は、他のどの患者さんに対しても、具体的で明確な目標を定めるようにしているとおっしゃいます。「目上の患者さんには大変失礼なんですけど、ちょっとこう“お尻を叩く”ような感じで治療目標をご提案します。疾患になったことで、ご自分の人生に自分で制限をかけてしまっているのを取っ払いたいという思いからです。敢えてその向こう側を意識していただくことによって、いま到達できそうだと思っているよりももっと先に行けるんじゃないか、と思いまして。医者の仕事というのは、患者さんをただ治療することだけじゃなくて、その先を、未来を示すことも含まれるんじゃないかと思うんですよね」。

上野先生はいつも、「自分が患者さんだったら、どう思うかな?」と考えるのだそうです。もし自分が患者側だったらどうしたいだろう?何を求めるだろう?と。そう考えると自ずと「治療薬を探して欲しいんじゃないか、治療したその先を教えて欲しいんじゃないか、診断書を書いて欲しいんじゃないか、そういったことが見えてくると思うんですよね」と先生はおっしゃいます。

写真:患者さん 柿沢 宏昭さん

そんな上野先生を慕う柿沢さんは、毎年先生と年賀状を交換されているのだそうです。「先生にはいろいろ教えていただいて、とても感謝しています。CIDPはまだ研究段階でしょうから、今後どういう薬が現れるかわからないですけど、先生みたいに次から次へといろんなことを考えて、ご指導いただける先生に会えて本当によかったなと思います。先生にはずっとこんな治療を続けていっていただきたいですし、他の患者さんも、こんな先生に診てもらえたらいいなって思いますね」と、柿沢さんは目を細めました。

上野先生は柿沢さんのことを、「医師から見たら、柿沢さんは120点以上の患者さんです。すごく真面目で、テレビなどでよく聞く“モンスターなんとか”みたいのとはまったく無縁な方。まあモンスターなんていうのは、コミュニケーションの問題から起きてしまうことだと思いますけど、柿沢さんは、こちらを慮るようなことまでしてくれる方なんですよ」。

柿沢さんには、もっと良くなったらやりたい、と思っていることがたくさんあると言います。「実際まだ足のしびれもありますから、これがなくなればいいなというのはありますね。そうしたら、趣味の鉄道写真を撮りたいです。

写真:主治医 上野 晃弘 先生

いま一番行きたいのは東北かな。震災の後は行くことができていませんから。それから、お寺を巡って御朱印を集めるとかもやりたいんですよね。ただ、お寺によっては長い階段があるじゃないですか。それに階段に手摺のないところも多々ありますから、今の状態では上までたどり着けない。そういうところにも気兼ねなく旅ができるようになればいいなと思いますね」。
常に患者さんの目線で考えながら治療の方向性を定め、進めていこうとする上野先生と、先生の話をよく聞いて、それに応えようとする柿沢さん。
3年前のあの日お二人が、異動で困っていた患者さんと異動して来た主治医として診察室で出会ったのは半ば偶然だったとは言え、その日からこれまでの間にお二人が積み上げてこられた成果は、「もっと良くなりたい」「良くしたい」という情熱と、お互いの信頼関係がもたらした必然に他ならないと、お話を聞いていて強く感じました。

柿沢宏昭さんに学ぶ「あなたの治療のヒント」

CIDPには、さまざまな治療法があると私も聞いています。あきらめずに、どんな治療でも主治医さんの指導をよく聞いて進めること、そして何より、それを続けていくのが大切なことかなと思いますね。

上野先生からの「ワンポイントアドバイス」

CIDPというのは診断が難しい疾病なんですが、その病気がCIDPであるかどうかの前にまず、何らかの症状が「悪くなっていくことが続いている」場合には、それは間違いなく危険信号ですから、ぜひ専門医にご相談されることをお勧めしたいですね。それも早ければ早いほど良いと思います。そうすれば、それがCIDPかどうかにかかわらず、私どもは必ずお力になれると思いますので。

JPN-HIZ-1194