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  4. CIDP患者さんを支える10人の物語 05 神奈川/済生会神奈川県病院 ご家族 - CIDPマイライフ 患者さん・ご家族の方向けサイト

※紹介した症例は患者さん個人の発言に基づく臨床症例の一部を紹介したもので、
全ての症例が同様な結果を示すわけではありません。

CIDP患者さんを支える10人の物語

イラスト
05:気持ちがマイナスに向かうような話はしない。できること、楽しいことに目を向け、普段どおりに接して、普通の生活に戻れるようにもっていきたい。そう思ってやってきました。

患者さんを支えるご家族 患者さんの奥さま
佐藤 まき子 さん
患者さんの娘さん
内藤 綾子 さん
患者さんご本人
佐藤 秀幸 さん…済生会神奈川県病院通院中

活動的な夫を、病が襲った。

写真:患者さんの奥さま 佐藤 まき子さん
佐藤 まき子 さん
写真:患者さんの奥さま 佐藤 まき子さん
佐藤 まき子 さん

横浜市鶴見区で焼肉店を営む、佐藤秀幸さん、まき子さんご夫妻。ご主人の秀幸さんの身体に初めて異変が起きたのは、5年前のある日のことだった。いつものように常連のお客さんで賑わうお店のキッチンで、忙しく包丁をふるっていた秀幸さんだったが、突然足に力が入らなくなり、危うく転倒しそうになったのだ。幸い背後にあった冷蔵庫が支えてくれて大事には至らなかったが、まき子さんにとってはその日が、その後長く続くことになる「秀幸さんを支える日々」の始まりだった。

写真:患者さんご本人 佐藤 秀幸さん
佐藤 秀幸 さん
写真:患者さんご本人 佐藤 秀幸さん
佐藤 秀幸 さん

すぐに近所の整形外科を受診したが、医師からは「いつも包丁を握って切っているから、首の骨が潰れて神経を圧迫しているではないか?」などと言われ、レントゲンを撮ったが異常は見つからなかった。納得がいかないまき子さんは、さらに別の整形外科を受診したり、マッサージを試したりしたが、足が痺れたり力が入らないという秀幸さんの症状はいっこうに回復しない。

写真:患者さんの娘さん 内藤 綾子 さん
内藤 綾子 さん

その後お店の中で転びそうになったり、近所を散歩中に転倒したり、信号待ちしていて道路側に倒れ込んで車に轢かれそうになったこともあった。ボーリングのボールを抱えてアプローチしていた足がガクッと折れて投げられなかったり、ゴルフ場で転倒したりといったことも起きたという。

写真:患者さんの娘さん 内藤 綾子 さん
内藤 綾子 さん

こんなに悪いのに何ともないって、どういうこと?!

そのうち秀幸さんは、それまでの症状に加えて手足に強い痛みを感じることが増え、毎日「あそこが痛い」「ここが痛い」とまき子さんに訴えるようになる。まき子さんは「この症状は脊髄から来ているのではないか?」と考え、脊髄外科を受診。しかしそこでも「何ともない」と言われてしまう。「こんなに悪いのに、何ともないって、どういうこと?!」とまき子さんは憤った。
その後いくつものクリニックや病院で診てもらい検査もしたが、診断がつかないまま、秀幸さんの症状は日々悪化の一途をたどっていく。まき子さんの不安は募るばかりだった。

写真:済生会神奈川県病院 外観

「もう毎日毎日衰えていく。昨日はグラスを自分の手で持って飲んでたのに、今日はそれが持てない。昨日まで立って歩いて一人でトイレに行っていたのに、今日は立ち上がることもできない。昨日は車椅子に座って自分でご飯を食べていたのに、今日は…って。一日一日力が抜けていって、動けなくなって、そしてとうとう寝たきりになった。ひょっとして心臓を動かす筋肉とかまで動かなくなるのではないか?…このまま死んでしまうのでは?…とさえ思いました」という。
そんな中、知り合いの看護師さんから「神経内科で診てもらったら?」と薦められて、済生会神奈川県病院の脳神経内科を受診することに。やがて神経伝導検査をはじめとするいくつかの検査を行った結果、CIDPと確定診断される。初めて異常を感じた時から、約2年の歳月が流れていた。

どん底の状態でも、諦めることはなかった。

CIDPと診断された時、秀幸さんはまったく動けない状態だった。主治医からは「命に関わることはないが、難しい病気」と言われたという。まき子さんは当時の気持ちを、こう語ってくれた。「あの頃はもう、この先お店もできなくなるのだろうな、と。それに私は寝たきりの母も介護しているので、動けない家族を2人抱えて、これからどうやって生きていったらいいのだろう?と途方に暮れていました。この家を売るか?…建て直してバリアフリーにするか?…といったことも娘たちと話してました。あの頃は本人も、もうダメかな?死ぬのかな?…と思ったりしていたらしい。とはいえ店は開けなきゃいけなかったので私たちだけで営業した。店頭に“店主が病気で不在なので味が変わるかもしれない。それでもよろしければ来てください”っていう内容の貼り紙もして。常連のお客さんたちは皆『味は変わらないよ』『美味しいよ』って言ってくれましたけど…」

写真:患者さんの奥さま 佐藤 まき子さん

当時は秀幸さんも、彼を支えるまき子さんも、いわば“どん底”の状態だったが、いざ入院して治療を始めると、希望の兆しが見えてきたという。秀幸さんが “できること” が少しずつ増えていくのを目のあたりにして、まき子さんは驚く。昨日までできていたことができなくなって日々落ち込んでいったあの頃とは逆に、できなかったことが今日はできるようになったという喜びは、とても大きかったのだという。「良くなっていく時は、声かけは欠かさなかったですね。『あぁ、良くなったね。できるようになったね!』って」。家族のそんな励ましを受け、本人がリハビリを大いに頑張ったこともあって、秀幸さんは予定よりも早く退院することができた。

写真:患者さんの奥さま 佐藤 まき子さん

今からできること、楽しいことに目を向けて。

写真:マリンスポーツを楽しむ患者さんご本人 佐藤 秀幸さん

ジェットスキーやウインドサーフィンといったマリンスポーツを愛し、海釣りに出かけ、ボーリングやゴルフを楽しみ、お店のテーブルから喫煙ルームまで自分で作ってしまうような、人一倍活動的な日々を送っていた秀幸さんだけに、体が動かなくなったショックは大きかっただろうし、だからこそ「治したい」「良くなりたい」という気持ちも強かったのだろうとまき子さんはいう。
「リハビリにはとても積極的で、病院でも自宅でも一生懸命取り組んでいました。あの頃本人は『自分は1回死んだ。そして新たな人生を手に入れたんだ』と言っていました。そこから仕事への意欲も、人生を楽しもうという意欲も新たにしたのだと思います。本人は船舶の免許も持っていて、退院してから新しい船も買った。実はまだ乗れていないけど、孫たちと釣りに行こうなどと言っている。ボーリングもロッカーとマイボールはキープしたままで、『いつかまたやれるようになるといいよね』と言っているんです」。

写真:患者さんを支えるご家族

秀幸さんを支えながら、ご家族は何を考え、どのようなことを心がけてきたのか、お尋ねしてみた。まき子さんは「私たちには孫がいるので、孫たちの話をすることが多かったかな。あまりマイナスになるような話はしないようにしていました。病気になってできなくなったことの方が多いかもしれないけれど、今からできること、楽しいことの方に目を向けてあげたいし、本人もそう思っていると思う。あの人はDIYとかも好きで今もやっているけど、そんなことができるようになったなんてスゴい進歩。一番悪い状態から徐々に良くなって、今は良い状態が保てているのが嬉しいです」
まき子さんと一緒にインタビューに応じてくれた次女の綾子さんは、「できるだけ普段と変わらないように接しようと心がけていました。病んでいる時って、いろいろ察しちゃうから気をつけなきゃって。でも当時は、家族間で “これからのこと” を話すのが一番難しかった。だって寝たきりで動けなくなるとか、悪くなることを前提に話すのは絶対にイヤだったから。未来を語ることができないというのは辛いことでしたね。でも何より辛かったのは、父の体が一番悪かった時に、私たちには何も情報がなかったこと。ネットを検索しても何も出てこないし、まったく何にもわからなかったですから」

写真:患者さんを支えるご家族

支えている私たちもまた、誰かに支えられている。

写真:患者さんの奥さま 佐藤 まき子 さんと娘さん 内藤 綾子 さん

お二人に“支える側の気持ち”をお聞きしていたら、まき子さんがこんな話をしてくれた。
「今も済生会神奈川県病院に通っていますけど、入院した時の看護師さんは、今でも会うと声をかけてくれる。先生はもちろんですが、私たちはそんな看護師さんたちにも支えてもらっているのを感じます」。それを聞いた綾子さんは、「薬局のオバちゃまたちも、いつも母の話をよく聞いてくれて、支えてくれていますよ。そして友人たちや店に来てくれるお客さんたちも。父を支えている母もまた、そんないろんな人たちに支えられているんだって感じます」と話してくれた。

写真:患者さんの奥さま 佐藤 まき子 さんと娘さん 内藤 綾子 さん
写真:患者さんご本人 佐藤 秀幸さん

秀幸さんは今、毎週1回水曜日に、自宅で治療を続けている。お店は土日が特に忙しいので、そこを目指して水曜日に治療して備えるのだ。しかし自宅での治療となると、まき子さんが休まるヒマはない。セッティングして、治療の様子を見守り、必要な時には手を貸して、終わったら後片付けと、何かとサポートが必要になる。
そんな自宅治療の際に、本人が退屈しないよう、娘の綾子さんが最近タブレットを買ってあげたという。
「治療している間は、YouTubeを見ていることが多いですね。楽しみながら、というほどではないけれど、今では普段の生活の一部に、当たり前のことになっています」と語ってくれた。これからのことをお聞きすると、まき子さんは、「家族で旅行できたらいいね、といつも言っています。孫たちもいつまで私たちと遊んでくれるかわからないけれど、ぜひいつか実現したいですね」

写真:患者さんご本人 佐藤 秀幸さん

なかなか面と向かっては言えないけれど、ありがとう。

写真:患者さんご本人 佐藤 秀幸さん

奥さまと娘さんにお話を伺っている間はキッチンにいらしたご主人が、料理の仕込みを終えて話に加わってくれた。「ご家族に支えられている、という実感はありますか?…」と尋ねると、「そりゃ、ありますよ。なかなか面と向かっては言えないけどさ…。でも感謝の気持ちを忘れることはない。私が大変な時に支えてくれたからこそ、今の私があるんだから。何にもできなくなって寝たきりの状態から、みんなに励まされながらリハビリやって、動けるように、歩けるように、そして階段を登れるようになって、『あ、また頑張ろう』と思った。体が動くってこんなに素晴らしいことかと思います。もう『ありがとう』しかないです」
と、少し照れくさそうに答えてくれた。

写真:患者さんご本人 佐藤 秀幸さん

CIDPと向き合う全国の患者さんへ

まき子さんは、「普通の生活」という言葉を何度も使って、全国の患者さんにこう呼びかけてくれた。「いろんな不安がおありかと思いますが、きっと普通に生活できていけるようになりますから頑張って欲しいですね。今でも私は、家の中で大きな音がすると『あら、倒れたんじゃないかしら?』って心配しますけど、まあ、普通に生活していけたらいいんじゃないかしら。周りは普段通りに接して、本人が普段どおりの生活に戻れるように持っていくのがいいと思いますね。自宅で1週間に1回治療するのも、今ではもう普通のこととして生活の中に組み込まれてきていますし。それから、私たちもいろんな病院を受診したりマッサージを受けたりといろいろやりましたけど、やっぱり諦めないで病院へ行った方がいいですよね。自分が信用できる先生に巡り会うまで」
そんな母親の話を、その日は黙って頷きながら聞いていることが多かった長女の綾子さんから、後日メールが届いた。「あの日はうまく話せなかったのですが…」と、こんな内容のことが書かれていた。

写真:筋トレをしている患者さんご本人 佐藤 秀幸さん1 写真:筋トレをしている患者さんご本人 佐藤 秀幸さん2

「父の回復に向けて一生懸命だった母は、同時に祖母の介護にも追われていました。その心労と過労が重なったのでしょうか、父の退院と同じ頃に、母は自宅で倒れて入院しました。
私も肝臓の調子が悪くなったり、円形脱毛症になったりしました。父のせいにはしたくなくて、口には出しませんでしたけれど…。父にとっても本当に辛い日々だったと思いますが、近くで寄り添う私たち家族にとっても、それはつらくて苦しい毎日でした。とはいえ、それはもう過去のこと。今の私たちは、日々のちょっとした楽しみさえも、すごくありがたいなって感じながら過ごしています。
父だけでなく、CIDPと向き合う患者さんは全国にたくさんいらっしゃると思います。痛みや痺れなど目に見えない苦しみは、周りに理解されず大変でしょう。でも、CIDPで不自由であっても、あなたが生きていてくれることで家族や友人は幸せなのです。そして、同じ病気と向き合いながら、諦めずに頑張っている人もいる。苦しいでしょうけれど、あなたは1人ではありません。前向きに治療を続けて病気に負けることなく、同じ空の下で笑える日が来ることを願っています」

「元気になってほしい」と願うご家族と、「何としても治りたい」と望むご本人。どちらも前向きな熱量にあふれていて、お話をうかがっているこちらが圧倒されるほどだった。秀幸さんは今日も、孫たちと話しながら天井から自分でぶら下げたロープを掴んでベッドの上で筋トレをしている。綾子さんは今日も、育児の合間をぬって父から調理指導を受けている。そしてまき子さんは今日も、夫の世話と母親の介護をしながら繁盛店を切り盛りしている。そんな「普通の生活」は、これからもずっと続いていくことだろう。

*紹介した症例は個人の発言に基づく臨床症例を紹介したもので、全ての症例が同様な結果を示すわけではありません。

取材日:2022年3月23日